78年目のシーズンをむかえて

平素は当クラブの活動にご理解・ご支援をいただきまして感謝申し上げます。

いよいよ創部78年目のシーズンを迎えます。戦前の1942年創部ですので当然、小生も生まれていません。また金港クラブをよくご存知のオールドファンの方々も相当なご高齢の方が多く、昔の強い金港クラブを知る方もめっきり減ってきてしまっていることが少々寂しい感じもしますが、2020年シーズンの組み合わせもみえてきて、また嬉しくも不安との戦いの日々を過ごすことになります。

プロ野球の世界で言いますと各チームの創立は

読売ジャイアンツ1934年

阪神タイガース1935年

中日ドラゴンズ1936年

オリックスバファローズ1936年

福岡ソフトバンクホークス1938年

北海道日本ハムファイターズ1945年

広島東洋カープ1949年

横浜DeNAベイスターズ1949年

千葉ロッテマリーンズ1949年

東京ヤクルトスワローズ1950年

埼玉西武ライオンズ1950年

東北楽天ゴールデンイーグルス2004年

ですから、まだ現在の球団の半分も創設されていない頃に金港クラブはすでに存在していたということになります。

初代のオーナーは故・山口久像氏。横浜において数々の役職を任された方ですが、今でも残っている「横浜スタジアム関係者正面入り口」の胸像でその足跡の一端を知ることができます。初代横浜スタジアム社長でもあったわけですが、何より、戦後のさなか、米国の占領統治下においては集団行動が禁止されていた状況にもかかわらず、同氏の尽力などにより横浜公園において金港クラブの試合(終戦後最初の都市対抗野球出場のための壮行試合。対戦相手は当時最強と言われていた慶應大学)をすることが認められるなど、戦前はもちろん戦後の状況下においても野球を守った人として後世まで語り継がれています。

横浜公園はもともとクリケット場でしたが、その後、歴史的な経緯から、その名称は横浜公園球場、ゲーリック球場、横浜公園平和球場と変わっていきました。

ちなみに金港クラブとしての初代監督は鈴木茂氏。法政大学が大学史上初めてリーグ優勝を果たした時の主力投手です。

残念ながら久像オーナーとお会いしたことはなく、1988年にお亡くなりになられています。この数年後に小生は金港クラブの門を叩くことになります。入部当初、毎週日曜日の15時からY校で練習と決まっていました。練習時間がいつもさほど長くないので集合直後からすぐに動けるように、1時間以上前にはグランドの裏手の道路に車を止めて、ランニングしていたことを記憶しています。

今ではY校で練習することはほとんどありませんが、のちの鉄腕、元G・山口鉄也投手とも間違いなくここで何度もすれ違っていたと思います。

その後相当な年数を経過し、環境も大きく変化し、それでも金港クラブが今日も活動できていることを大変有り難く感じながら、78年目のシーズンを初代久像・二代目和宏オーナーは変わらずきっと見守ってくださるだろうと思いながらもいつか最良の報告ができるのを私自身、楽しみにしているところです。

 

仕事上、2月はほとんどチームの活動に参加できないのですが、NPBの選手たちの素晴らしい取り組みの現場で目にしたことを少しでもチームに還元できればと思いながら宮崎・沖縄の空を眺めています。

 

監督 露木文吾

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